MARKROSA ~BRIDGESTONE~

高校へと向かう河川敷。1本だけ大きな桜の木が植わっている。

「その自転車、かわいいね。」
その瞬間、僕は彼女に恋をした。


   ***


カタカタカタ、タン。
カチカチ。
カタカタカタ、タン。
カチカチ。

キーボードとマウスをクリックする音が響く。
約2時間ほど、部屋で聞こえる音といえば一番大きいこの2つと、パソコンから聞こえるファンの音、24時間換気しているらしい部屋に付いているファンの音くらいだ。

この春、僕は高校生になる。
通う高校は自宅から自転車で15分ほど。近くはないけれど、決して遠くもない。
高校の近くを流れる大きな川沿い、河川敷を走って行けるから、信号に捕まることもなく、ほぼ予想通りの時間に到着できるだろう。
中学3年間お世話になった自転車ともお別れし、新しく買ってもらえることになっていた。

カタカタカタ、タン。
カチカチ。
カタカタカタ、タン。
カチカチ。

決断力は昔からない。
何が違うのか分からないくらい自転車の種類は豊富だ。

小学校に上がり、初めての教室でプリントに名前を書いた。みんなピカピカのふでばこを開き、恐らく昨日親と削ったであろうまだ一度も紙の上を走らせていないえんぴつを取り出す。僕のふでばこには深緑色のHBの鉛筆が5本入っていて、一番右側に刺さっているえんぴつを、ふでばこにぶつからないように慎重に取り出していた。周りを見てみると、色とりどりのえんぴつをみんなが使っていて、人気No.1は”ポケモン”、次いで”新幹線”の柄だ。
家に帰ってすぐに母親におねだりをして、えんぴつを買いに行ってもらった。教室では”ポケモン”を買うと決めていたが、いざ沢山のえんぴつを目の前にすると30分ほど迷い、結局当時人気だった”仮面ライダーオーズ”を選んでいたのだから子供の思いつきは当てにならない。
小学校1年生から成長を感じられない自分自身に嫌気が差しながらも、ついついネットで人気の文房具を検索してしまう。
やはり、決断力は昔から無いみたいだ。

困ったときは、王道から探す癖があるのも昔から変わらない。
『みんなが使っているから良い。』、『売上No.1だから良い。』、『有名な人が良いと言っていたからいい。』
結局自分ではない誰かの判断に決断を委ねている。そのためにネットで調査はするし、周りのみんなに聞いたりもする。
「慎重だね!」の言葉はよく言ったほうで、結局は”決められない”のだ。
とはいえ、今、自転車は決めなければいけない。
結局僕は”ブリヂストン”から選ぶことにしていた。ネットの売上ランキングではいつも上位に上がってくるし、誰もが聞いたことのある有名企業だ。それに、家の車のタイヤも”ブリヂストン”だった。

「ベタはやだけど、攻めすぎたのも嫌だな…」独り言をこぼしながらホームページの製品情報を見漁る。
種類は多いし、機能も多い。きっと自転車に詳しい人には有益な情報なのだと思うけど、分からない僕にとってはスマホの説明書ぐらい見る気のしないものだった。幸いなことに、親からは「予算は5万円ね。」と言われていたから、これだけでもだいぶ絞られる。
結局僕がたどり着いたのは、”マークローザ”と名付けられている自転車だ。その中の”3Sタイプ”、色は”マットブルーグレー”にした。


   ***


河川敷を自転車で走るのは、なんとも気持ちがいい。
元々ひとりで過ごすのは嫌いじゃないし、自転車専用の道もあるから気兼ねなく走ることができる。
川の湿った空気が、高台になっている河川敷の壁を滑走路にして上空へと飛び立つ時、一緒につれてきた土と草の匂いを僕に預けていくようだった。届けられた匂いが、僕もこの世界の一員であることを教えてくれる。
朝から元気にジョギングをしている人も、お母さんに手を引かれながら散歩をしている子供も、犬と一緒に健康を噛み締めているお年寄りも、平和なこの空間がたまらなく好きなんだ。
家から学校まで四分の三ほど進んだところに、この河川敷唯一で、名物にもなっている桜の木が1本植わっている。
ご丁寧に名札まで付いていて、”ソメイヨシノ”であることを教えてくれている。
すでに色合いとしては緑が目立つようになっているこの木にかろうじて残っているピンクの花びらも、あと数日の命だろう。

『ソメイヨシノは僕に似ている』
以前、桜はなんで早く散るのか調べた時に思った僕の感想だ。
どうやらこの世にあるソメイヨシノは”クローン”らしい。大好きな花であることは変わらなかったけど、人間のエゴの塊にも思えた。
一本の親木から、接ぎ木を繰り返して増やしているから遺伝子的には同じ配列、同じ構造になっている。だから、一斉に咲いて、一斉に散っていく。一斉に咲くから、派手で見ごたえがあるし、一斉に散るから、これまた派手で見ごたえがある。
日本人にとっては花のお姫様のように綺麗に咲き誇る姿も、綺麗に鑑賞することだけを目的に創り上げられていると考えると、散り際の寂しさがより一層増す気がする。

『せめて咲いている桜の花を精一杯目に焼き付けよう。』
桜の木の横を通り過ぎる時、僕が心のなかで呟く言葉だ。

「その自転車、かわいいね。」
桜の木の横を通り過ぎる時、ちょうど桜の木の向かい側から現れた彼女が僕にくれた一言だった。

   **

高台になっている河川敷は、家から学校へ向かう方向を正面に見ると、右側に川が流れている。
左側は川よりも低い位置に道路が走っていて、その奥に家が建ち並んでいる。背の高いマンションやビルは無く、似たような色の屋根が規則正しく並ぶ。その一軒一軒に家庭があり、家族が住み、それぞれ特別な物語が生まれているのだろう。
それなのに、河川敷から見下ろすその一軒一軒はひどく無機質で、ジオラマのように見えていた。
川を見ると、人はいなくても命に満ち溢れているように感じるから不思議なものだ。

桜の木は川が流れる方に植わっていた。そして、ちょうど向かいに住宅街から河川敷へと上がる階段が設置されていて、彼女の通学ルートはその階段から河川敷へと上ってくる。

一生忘れることはないだろう。4月7日。僕が彼女に恋をした日だ。

”奏 瑠美”。それが彼女の名前だ。
1年3組に集められた38人の中のひとり。それが、彼女であり、僕だった。
席が近いとか、同じ委員を任されたとか、同じ中学だったとか。意識したり、仲良くしたりするきっかけは何一つ持ち合わせて無くて、存在は知っているけどあくまでも同じクラスのひとりだった。
僕はもっぱら前に座ってる橋本とばかり話していたし、決して目立つ存在ではなかった。
客観的にクラスメイトを分析すると、彼女への印象も僕と似たようなもので、女子の中で目立つ存在ではなかったし、仲良くなった友達と楽しそうに過ごしているクラスのひとりだっただろう。(正直に言うと、はじめの印象はそこまで残っていないし、はじめの自己紹介で何を言ったかすら覚えていないから、何となくのイメージが強い。)

だからこそ、彼女から声を掛けられたことは意外だったし、僕の心に大きな衝撃を与えてくれたんだ。

  **

「ん?うん。」彼女の突然の声かけに驚きながらも自転車を降り曖昧な返事をする。
「私、その自転車、好きだよ。」
「そうなの?乗りたい?」
「ううん。乗りたいわけじゃないの。」
「そっか。そういえば、自転車で行かないんだ。」
「ここからなら5分くらいで着くから。歩きで充分。」
「確かに。僕もこの辺りからだったら、歩いて通ったかも。」
 ・・・
「いい天気ね。」一瞬の間も許さないように彼女が声をかけてくれる。
「そうだね。春は好きだな。」
「そうなの?なんで?」
「暑くないし、寒くないし。あと、桜が咲くからね。」
「桜、好きなんだ。」
「うん。日本人は大体好きなんじゃないかな。」
「そっか。言われてみれば私も好きかも。」

自転車を挟んで僕の右側を歩く彼女との会話は、近いようで決してこの自転車を越えては来ない距離感で続けられていく。

「季節はいつが好きなの?」
「私?私は…やっぱり…私も春が好きかな。」
「なんで?」
「なんで?…春って、かわいい気がするから。」
「春がかわいいか…わかるような、わからないような。でも、わかる寄りかな。」
「良かった。なんとか伝わって。」
彼女がこちらを向いて、無邪気な笑顔を寄越す。彼女の視線に気づいて一度そちらへ顔を向けるが、僕はその顔を見ることができず、すぐに正面を向いていた。
「高校はどう?」親戚のおじさんみたいな質問をしてしまった。
「まだ1週間でしょ?楽しいって言いたいところだけど、正直まだわからないかな。」
「そうだよね。」なにか質問したい気持ちだけ溢れてくるが、なぜだか言葉は一緒に溢れてきてくれない。何かが使えている感覚だ。
「広瀬くんは、どうなったら高校楽しくなりそう?」
「…そんな事考えたこと無いよ。」
「私も…」言いながら彼女自身も笑っている。今度は、顔を正面に向けたままだ。
「変な質問しちゃったね。」彼女が続ける。
「でも、考えてみるよ。なんか、大事なことな気がするから。」
「じゃあ、私も考えてみる。答えが出たら教えてね。」

この日から、彼女との通学が始まった。

桜の木までは自転車を漕ぐ。彼女はいつも先に居て、桜の木の下で待っていてくれる。
人間は学び、成長する生き物だから、彼女が木の下で待っていればかなり遠くからでもわかるようになっていった。
桜の木の前で僕が自転車を降りるタイミングと、彼女が桜の木からこちらに向かってくるタイミングも、日に日に合ってくる。自転車を挟んで右側を歩く彼女との歩くペースも、自然と合うようになっていた。
僕が中世の貴族だったら、ダンスパートナーは絶対に彼女にお願いするだろう。そのくらい呼吸が合っている気がする。

30℃を超える真夏の日差しが照りつける日も、雪がちらつく真冬の寒さの日も、必ず彼女は桜の木の下で待っていてくれた。
相変わらず話す内容は無くって、テストの出来がどうだったかとか、オススメの俳優が出るドラマが始まるから見てほしいとか、最近1kg太ってショックだとか、リアクションの薄い僕に対して、彼女はいつも話題を届けてくれていた。


   ***


”人生は約25億秒です。”
どこで聞いたかは覚えていない。もしかしたら見たのかもしれないし、読んだのかもしれない。
知った場所は曖昧だけど、僕にとっては結構衝撃的な事実だった。
17歳になると約5億秒生きたことになる。残りは20億秒。そう考えると、とてつもなく人生はあっという間に感じてしまう。
2時間かけて待ったアトラクションが、5分くらいで終わってしまう感覚に近いかもしれない。
きっとまだ若いんだろうし、そうであってほしいと思う。
人生を楽観視しているつもりはないけれど、かといって悲観的に考える必要もないと思っている。
楽しいほうが絶対に良いし、そうしたいと本気で思う。
だけど、”人生”なんていう途方も無いことを考えて、『本気で楽しいほうが良い!』と思っているなんて言ってみてるけど、「どうなったら高校楽しくなりそう?」という、彼女の問いにすらまだ答えを出せていない。

「答えは見つかるのかな…」
ベッドから天井を見ながら、少しだけ大きな声でつぶやいてみる。

また僕は僕に嘘をついた。


  ***


3月20日に季節外れの雪が降った。
冬がなかなか出番を譲らなかったけど、強い雨と強い風にやっと観念したのか、僕の町にも春がやってきた。

いつもより早く家を出たけれど、それでも自転車を漕ぐ足がいつもより軽い。
灰色から顔をのぞかせたオレンジが、青空を連れてこようとしている。
まだほとんど人が居ない河川敷を進む。さすがに顔に当たる風は肌寒く感じる。
『鼻とか耳とか赤くなったらやだな。』
そんなことを思いながらも自転車のスピードは更に上がり、僕を誰よりも早く連れて行ってくれる。
遠くからでもわかるピンク色の花束。4月7日にまだ満開でいてくれている。

桜の木に自転車を立て掛けて、彼女の到着を待つ。
ふと左を向いてみると、いつも僕が使っている道が見えた。
『この景色を見るのは初めてだ。』
彼女が何百回と見てきた景色が僕の目の前に広がっている。

「おはよう。今日は早いね。」
「おはよう。僕にとって特別な日だったから。」
彼女は僕を見守るようにそっと微笑む。
「高校を楽しくする方法。分かったんだ。」
「教えてくれるの?」
「うん。」

伸ばした彼女の手のひらに、居場所を見つけた桜の花びらが一枚、降ってきた。

MARKROSA 〜BRIDGESTONE〜

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