「お母さん!大きくなったらパン屋さんになる!」
2014年。通勤の電車の中で驚きのニュース記事を見つけた。
”ガンダムを歩かせる”
リアルタイムではなかったが、テレビで初代ガンダムのアニメを見たのは小学生の頃だったと思う。
その当時は細かなストーリーは全くわからず、ただロボットが戦うアニメだと思って見ていた。
全話見ていたわけでもないし、テレビをつけてやっていたら見る程度。ガンダムが戦わない話もあるから、「今日はハズレだ。」なんて言いながら見ていた記憶がある。
大人になって改めて見てみると、そういう話が面白いのだから人間は変わっていく生き物だと思う。
ガンダム好きは中学、高校くらいがピークで、友達とガンダムのプラモデルを買いに行ったりもしていた。
はじめは近くの玩具店で探していたが、そこは町の小さなお店。品揃えはお世辞にも良いとは言えなかった。
当時、まだ町に小さな商店が点在していて、八百屋、魚屋、肉屋、文房具屋、おもちゃ屋、駄菓子屋、など、大きなスーパーマーケットがあるわけでも無く、それぞれを回って生活に必要なものを買い揃えていた。
もっぱら子どもたちは、駄菓子屋とおもちゃ屋に集まるのだが、小さなおもちゃ屋にはミニ四駆やガンプラ、大人が好きな戦艦やお城のプラモデルが所狭しと積み上げられていた。狭い店内に種類だけは多かった影響でそれぞれの数は少なく、滅多に新商品が入荷されることもなかったのだから、飽きが来るのも時間の問題だった。
次第に町の小さなおもちゃ屋では満足できなくなり、せこせことお小遣いを貯めては電車で30分ほど離れた場所にある大型店舗へと足が伸びるようになる。
そこには、常に新しい商品が置かれていたし、ジオラマで使う街や木のプラモデルも取り扱われていたから、当時の私達には夢のような空間だった。一度訪れたら、2時間くらいは物色をしていたと思う。
多くはないお小遣いから、悩みに悩んで決めたガンプラを買って帰り、ご飯もそこそこに夢中で作っていた日々が懐かしい。
夢中とはよく言ったもので、子供はすぐに新しい夢を見つけてはその世界に入り込んでいく。
プラモデルからゲームへと夢の世界は移っていき、しばらく追いかけていたガンダムもいつの間にか見なくなっていた。
選択肢が増えると、人生の厚みは増すのだろうけど、一つのことに没頭する機会は減った気がするから、実は薄くなっていたりするのだろうか。通販で買った安いカーテンみたいだ。
ただ、あれだけ夢中になって熱く燃やした火種は水をかけて消したわけでも無かったから、しつこく炭の中に残っている赤い火のように、ずっとくすぶり続けていたのだと思う。
”ガンダム”と聞くと心がざわついて、自然と目で追っている自分に気付かされる。
20代は沢山見えてきた選択肢一つ一つにチャレンジしたり、目の前にあることに夢中だったからあまり昔を思い起こすことは無かったけど、30代も半ばを過ぎてくると、色々と”諦める”ことを覚えてしまい、気づけば自ら選択肢を減らしている。
だから、心のなかにギューギューに押し込まれていたものが少しずつ捨てられ、整理されていき、くすぶり続けていたものがまた顔を覗かせるのだろう。
2009年お台場に、”実物大のガンダム”ができた時、いても立ってもいられずに公園の真ん中に立つガンダムを見に行っていた。
それでも、”目の前の日常”のチカラは偉大で、また気づけば日々生きるための活動を繰り返している。
生きるために働き、働くために生きる。
そんな生活を15年繰り返しているのだから、働く意味に疑問など抱かず、作業を繰り返すことも造作も無いことになっている。
そんな日々を過ごしている中で飛び込んできた記事が、”歩くガンダム”のプロジェクトだった。
***
「本当に動くのか…」
実物大。18mのガンダムを目の前にして、独り言をこぼす。
「約1ヶ月ぶりの降雨降雨です。南風が強く吹くため、暴風雨になるでしょう。傘など飛ばされる危険性もあるため、十分にお気をつけください。」
気象予報士のお兄さんが家を出る前に行っていた台詞を思い出す。
傘は全く意味をなさない状況の中、ガンダムの前に立っているのは私一人だけだ。
1対1の時間が過ぎていく。
横殴りの雨と時折ふく強い風に構えたスマホを持つ手が揺れる。
こちらが悪戦苦闘している中でもガンダムは微動だにせず、凛とした姿を一切崩さない。
「25トンあるのだから当たり前!」と言われればそれまでなのだが、それでも私の目にはどこか自信に満ち溢れ、今この瞬間を楽しんでいるように感じられた。
強く早く目の前を通り過ぎていく雨の影響か、霧がかかったように真っ白な背景の前で、ガンダムの白がより一層際立って見えた。
「ミッションコントロールより発令。これよりRX-78F00、ガンダムの起動実験を開始する。」
流れる音声とともにガンダムの前に設置されているデッキが開き、いつでも動ける準備が整う。
一つ一つの関節が丁寧に曲がり、右手が前へと少し上げられる。それと連動するようにゆっくりと左足が上がり、1歩踏み出そうとしている。
”ガンダムを動かす”
この一点にかけた並々ならぬ想いがそこにはあった。
高く上げられた左足の裏からは、頭から足先まで前進をつたって到達した雨が滝のように流れ、金属の塊であろうガンダムからは、温度が感じられる。
子供の頃に見ていた画面の中で動いていたガンダムが、確かに今同じ空間で動いているのだと実感させる。
起動実験が終わり、ガンダムが天高く指を突き上げている。
会場に響いていたアナウンスと音楽は止まっているが、相変わらず強風と大雨はお構いなしに私を通り過ぎていく。
レインコートの中は、再生が終了したイヤホンのような余韻に包まれていた。
***
「大きくなったら何になりたいの?」母が尋ねる。
家の近くにある商店街へと向かう道すがら、小さな手を握りながら一歩進んではこちらの様子を確認している。
通い慣れた道で、八百屋、肉屋、魚屋、とお決まりのコースを回るこの時間が好きだった。母も同じく好きだったと思う。
私の記憶では、この買物の時間、母がおしゃべりをやめることは一度もなく、いつも私に話しかけてくれていた。
作り上げられた記憶かもしれないが、ベビーカーに乗って向かうときも背中に感じる母が、ずっと話しかけてくれていた声が耳に残っている。
母は未来の話をすることが好きで、過去の思い出話しを聞いた記憶が無い。
私の未来、家族の未来、空想の未来、そんな話をよく二人でしていた。
「お母さん!大きくなったらパン屋さんになる!」無邪気に私が答える。
大きな母の手を握るにはあまりにも小さな手だったが、それでもぎゅっと握りしめている。
「それじゃあ、毎日焼きたての美味しいパンが食べられるのね。お母さん楽しみにしてる。」
笑顔の母の手は、より一層暖かく感じた。
「任せて!毎日一番最初に焼いたパンをお母さんにあげるね!」
無邪気な故に、何の保証もない子供の約束だった。
母はよくケーキを作る人で、誕生日やクリスマス以外に、両親がケーキを買ってきて食べた記憶がない。
その代わりにいつも家にはケーキがあった。
祖父母の家を思い出すと、少し古くなった畳と毎朝たかれて壁に染み付いた線香の匂いが鼻を通り過ぎていく。
どうしてもその匂いが好きになれなかったのは、いつもオーブンから漂う甘い香りに包まれて育ったせいだと思う。
歳を重ねた今でも、甘い匂いに包まれると落ち着くものだから、ついついデパ地下に足が伸びてしまう。
そんな母が毎日のように使っていたオーブンで私もパンを焼きはじめた。
はじめのうちは、母が用意したパン生地をオーブンに入れるだけで作った気になっていたが、中学に入ることには一から自分で作るようになり、朝食に私のパンが並ぶことも頻繁にあった。
ただし私のパン作りも中学2年がピークで、高校受験が近づくに連れパンを作ることが減っていった。
高校に入る頃には、家のオーブンからは再びケーキの匂いだけが漂うようになっていた。
***
社員28名。東京の小さなビルの3階に会社はある。
納期が大詰めで、缶詰でエラーを修正している日を除けば、一番乗りはいつも私だ。
真っ先にすることは窓を開け、出涸らしのような空気を入れ替える。
一日中のみんなの頑張りと一緒に出てくる余計な感情は、製品には組み込まれることが無いから、行き場をなくして空間を漂っているように感じる。
きっとこれを放置したら、会社は濁り、腐ってしまうのだろう。私なりの正義だ。
”住めば都”なんて言葉があるが、15年もこの会社に”住んで”いる。間違いなく私にとっては都だ。
特別な愛着があるわけではないけれど、会社への情は十分に持っている。
まるで実家暮らしのようで、”約束された安心”をこのままずっとここにいれば、享受し続けられるだろう。
「先輩!お先です。」
「おぅ。お疲れさま。」
「まだ帰らないですか?」
「もうちょっとね。でも、1時間もしないで帰るよ。」
「あんまり無理しないでくださいね。」
「ありがと。」
「うちもリモートにしてくれればいいのに。」
「社長が対面コミュニケーション好きだからね。って、帰るんじゃなかったのかよ。」
「すいません!それじゃあ今度こそ。お疲れさまです!」
「気をつけて。また明日。」
昨日会社で最後に行われた会話を思い出す。
「また明日。か…」
確かにやってきたその明日を言葉にして実感したくなった。
いつものように大きく開けた窓から外の様子を伺うと、当然のように寸分たがわぬ景色が、目の前にある。
***
レインコートのフードが後ろに撥ね退けられ、横浜にいることを思い出させる。
いつの間にか雨は上がり、少しでも近くでガンダムを見ようと近づいてきた人達で囲まれていた。
色々な角度で写真を撮る人。なんとか角度をつけてガンダムと自分との自撮りに悪戦苦闘する人。子供にガンダムの歴史を語るお父さん。じーっとひたすらに眺めている女性もいる。
『この人達には私はどう映っているのだろう。』
そんなことが頭をよぎるが、「誰も見ちゃいないか…」自然とこぼれた私自身の言葉が正解を言い当てる。
ここにいる全員の目には、夢を実現するために全力を尽くした人の結晶である”ガンダム”だけが映っている。
「もしもし、お母さん。久しぶり。急に変なこと聞くけど、家にあるオーブンってまだ使える?」
”再入場はできません”
看板の横を通り過ぎていく。
GUNDAM FACTORY YOKOHAMA
2021.03.26
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