キュキュット クリア除菌〜花王〜

毎日寝ているいつものベッドの上。

壁の色、布団の柄、クローゼットの扉、いつもそこにある、いつもと変わらない景色が目を覆う。
だけど、今日はグレーとも、青とも言えない薄い色が混じっているように感じる。

「もう、何回目よ。」
つい愚痴がこぼれる。

今までの経験上、愚痴をこぼしても良くならないし、大してスッキリしないことも知っている。
それでも私の口からは愚痴が勝手に生まれてくる。
息をしないと死んじゃうように、水を飲まないと死んじゃうように、眠らないと死んじゃうように…

結婚してすぐに初めての大喧嘩をした。
その後にあった親戚の集まりで、新婚生活について質問してきた叔母さんに逆に相談をした返答がコレだった。

「愚痴は言っても解決できないから、ちゃんと向き合ってお互いの考えを伝え合うのよ。」

わかる。そうしたほうが良いのはさすがの私でもわかる。
だけど、綺麗事だけでは生きていけない。勝手に口から愚痴が出る。必要だから出てくるんだと思う。

昨日の大喧嘩は何回目だろう。もう数えるのも面倒くさい。

佑也と結婚して3年。
「優しい人が良いな!」と、10代の頃本気で言っていた私にとって、ぴったりだと感じさせる人だった。
まあ、今でも優しい人なのだと思う。だけど、一緒に生活してみて分かったことがある。

”優しいと優柔不断は紙一重”

結婚式場も私が決めた。2次会の会場も私が決めた。手伝ってくれた幹事も私の友達。
今住んでるこの家も、使ってる家具も、佑也のスーツも私が選んで買っている。

『あなたの意思は無いの?』いつも私の中で浮かんでくる言葉。
飲み込んで、伝えられていないけど、喧嘩をするとこの言葉が沸騰するお湯のようにポコポコと湧き上がってくる。


目の前の鍋に張られた水から、小さな気泡がポコポコと湧き上がり始めている。
6mほど先のソファーでは、ブランケット一枚被って、丸くなっている佑也の姿がある。

喧嘩をしたその日は、決まってソファーで寝ている。

「私が悪いみたいだから、ソファーで寝ないでくれる!」昔私が言った言葉だったけど、
「一緒は嫌かなと思って。」の一言が返ってきて会話は終了した。
それ以来、このことについては触れていない。
『もう好きにして!』
これが私の気持ち。考えるのも面倒くさい。

トゥントゥルルン♪トゥントゥルルン♪
佑也のスマホから目覚ましの音楽が流れる。
ブランケットがかすかに動き、そっと伸びた手が吸い込むように、スマホがブランケットの中に消えていった。

手狭なキッチン。
オーブンレンジの上に置かれた電気ケトルを下ろし、パンを3枚つっこむ。
流しの下にある引き出しから、フライパンを取り出し火にかける。
冷蔵庫の2段め、野菜室からはサニーレタスを取り出す。

もう、この行動には感情なんて必要ない。
狭い空間に決められた配置。目をつぶっていてもできそう。

熱くなったフライパンに卵を2つ落とすと、みるみる白身が文字通りの白になっていく。

『初めて卵を割った人は、白身じゃなくて透身って思わなかったの?』
そんなどうでもいいことが頭をよぎる。

少し早めに取り出した目玉焼きの黄身には、まだ火は通りきっていない。
弱火にしたフライパンの蓋の中では、残された卵の周りを水が踊っている。

沸騰したお湯で紅茶を淹れはじめる頃、ブランケットが大きく動き、佑也を誕生させた。

生まれたばかりのその生き物は、「おはよう。」としゃべった。
3秒ほど間があき、私からも「おはよう。」が出てくる。
まるで、決められた儀式のように生まれたその言葉たちは、永遠に出会うこと無くフヨフヨと空中をさまよっている。

足音をたてずキッチンを通り過ぎる佑也を確認し、
”焼き上がったパン”、”簡単に作ったサラダ”、”焼いた目玉焼き”、”焼いたウインナー”、”淹れた紅茶のポット”
をダイニングテーブルへと運ぶ。
私が席につくとタイミングを合わせるように佑也も席につく。

「いただきます。」第2弾の儀式を佑也が執り行う。
食器がぶつかる音、お互いの咀嚼音だけが聞こえる世界。

”重苦しい空気”
としか言えないこの状況を、私は何回も経験している。

「負荷をかけると筋肉は育つ! Let’s exercise!」と通販番組で見たけど、心には通じないみたいだ。
だって、この重たい空気を、私はまだ持ち上げられるようになっていない。

ひたすらに目の前の食物を体に取り入れる作業を二人で続けている。
疲れた首を伸ばそうと顔を上げると、佑也と目が合った。

何事もなかったかのようにお互い作業の続きに戻っていき、ほぼ同時に完了させた。

「いってきます。」本日3回目の儀式を佑也が行うと、狭い家の中は私だけになった。
昨日の夜から望んでいた空間だったはずなのに、嬉しい気持ちが湧き上がってくる気配はない。

綺麗に2つセットになっている汚れた食器を洗うため、スポンジに洗剤をつける。

「いろいろ試したけど、これが一番綺麗になる気がするんだよね。」
結婚する前、佑也が私に教えてくれたことの一つ。

”キュキュット”と書かれたボトルをそっと戻す。

ギュッギュッと力強くスポンジを握りしめると、白い泡がモクモクと生み出される。

マグカップ、サラダボール、パンのお皿、と順番に洗っていく。
残された2枚のお皿。私が使った真っ白なままのお皿を洗うと、黄身で汚れた白いお皿が顔を覗かせる。
白い泡で覆われたスポンジで、最後の一枚を強くこする。
本当はこんなに力を入れる必要はないのだけれど、自然と力が入ってしまう。

佑也に向けた想いなのか。
少しでも重たいものを持ちたい想いなのか。
私自身への想いなのか。

そんなことは全然わからない。

ただ、スポンジからお皿へと伝わった泡は、何事もなかったかのようにお皿を綺麗にし、私の元へと帰してくれた。

再びペアになった食器を洗面台の上にある収納棚にしまう。
結婚し、ここに住みはじめた頃から変わらない定位置。


『まぁ、窓でも開けて空気を入れ替えようかな。』
吹き込む空気はいつもと同じ匂い。

キュキュット クリア除菌

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