Ring Fit Adventure

日も長くなり始めた3月の金曜日。
オフィスを出るといつも黒い空で覆われていた景色が、冬には珍しいみ空色に変わっていた。
直接見ることはできないけど、ビルとビルの間にかろうじて、けれども確かに太陽を感じる。

「おつかれさま!」
同期の麻衣が足早に階段を降りていく。
「おつかれさま!」
麻衣の背中に届けた言葉は、右手を大きく上げて応えた姿から、確かに届いたことを実感する。
麻衣は、休みの日に欠かさず皇居の周りを走っている自他ともに認める”ランガール”だ。

   ***

以前、麻衣に誘われて一緒に走ったことがある。
引き締まった身体がはっきりと分かる、ピタッとした服装の麻衣とは対象的に、
ゆるいジャージの上下セットで集合した私は、まるでラジオ体操をやらされにきた、”なんちゃってランナー”そのものだった。
「まずは1周走ってみようか!」
麻衣の提案に安請け合いをした私は、たった1周をすぐに後悔した。

「…はぁ、ねぇ…、はぁ、皇居の、…はぁ、一周って、はぁ…、何キロ…、はぁ、なの…、はぁ…」
たった一言の質問も、息も絶えだえな私をよそに麻衣は、
「ピッタリ5キロよ!」
と爽やかに答えてくれる。明らかにこちらのペースに合わせてくれている麻衣に申し訳無さも感じるが、
自分自身に精一杯で、気にかける余裕はどこを探しても見つからない。

「これ…、はぁ、はぁ、もしかして…、はぁ、はぁ、登ってる…、はぁ、はぁ、はぁ…」
かなりキツくなってきたが、追い打ちをかけるように明らかな上り坂が、ゴールへの道を妨げる大きな壁となって目の前に立ちふさがる。

”壁は乗り越えるもの。乗り越えられる人にしかやってこない。”

誰だかが言った名言が、頭の中をよぎる。
『そうかも知れないけど、辛いものはつらいのよ。』
ネガティブな言葉が濁りのない透き通った湧き水のように、自然と心から生まれてくる。何百年も前から当たり前にあり続けるように。
「ここを登り切ると後は下りだから、頑張っちゃおう!」
ポニーテールを左右に揺らしながら、飛び切りの笑顔と慈愛に満ちた眼差しをこちらに向けてくれている。
「うん…。つらいけど、はぁ、はぁ、走り…、はぁ、きれない…、はぁ、ほどじゃないわ…、はぁ…」
素直に麻衣の応援に応えたいと思っていた。

1周走りきり、30分前には軽やかだった両足はすっかりお荷物になっていた。
重たくなった足を引きずりながらなんとかベンチに座り込む。
「途中歩かず走りきれたね。はじめてなのにすごいよ!」
座る私の目の前で、軽い足踏みを続けながら麻衣が”フィードバック”をくれる。
今朝コンビニで買ったスポーツドリンクを流し込み、1秒でも早い体力の回復を願う。
「麻衣。もう1周走ってきていいよ。私はここで休憩してるから。」
「そう?じゃあお言葉に甘えて!」
あれがいつものペースなのだろう。さっきまで息づかいが感じられるほど側にいたその姿はあっという間に小さくなり、
可愛く揺れるポニーテールも確認できなくなってしまった。
麻衣が残したその風景には、学生から同年代、ふた回り以上離れているご年配の方まで、様々な登場人物が現れては消えていく。
「私が出演者になるには、まだまだ時間がかかりそう。」
ひとりつぶやきながら、麻衣の帰りを待っていた。

   ***

「次の方、こちらのレジどうぞ!」
手を上げてじっとこちらを見つめている店員さんのもとへ向かう。
「これ、お願いします。」
レジ前に着くやいなや、列に並びながら用意をしていたスマホに映し出された予約番号を見せる。
「少々お待ち下さい。」
声だけ残し、店員さんは奥へと姿を消していた。
滅多に来ないが繁盛店なのだろう。8台並ぶレジすべてにお客さんが立ち、背後には10人近くの人で列が作られていた。
「こちらでお間違い無いですか?」
いつの間にか戻ってきていた店員さんは、お目当ての商品を両手で持ち、正面をこちらに向けて話しかけてきている。
「あ、はい。」
「あと、これもお願いします。」
予約してやっと手に入れる”Nintendo switch”と併せて購入する、”どうぶつの森”のパッケージを店員さんに渡す。
「あぁ、少々お待ち下さい。」
再度奥へと消えていく店員さんの背中には、『一緒に出せよ。』の文字が浮かんでいた。

やっと手に入れた紙袋を手にゲームコーナーを後にしようと人を避けながら出口を探していると、視界の片隅にスマホの画面ではすっかりおなじみになっていたパッケージが見えた気がした。

空のパッケージを持ち上げ、念の為裏面も確認する。
間違いない、”リングフィットアドベンチャー”が目の前にある。
いつ見ても、オンラインサイトでは、”お品切れ中”となっていたが、あることが当たり前のように空のパッケージが所狭しと並んでいる。
『持っていったら、「お品切れです」って言われたら恥ずかしいな…』
そんな想いと空のパッケージを胸に、再度列へと並び、順番が来るのを待った。

「お待たせしました。」
その手には、宅配ピザのMサイズほどのパッケージが収められている。
「こちらでお間違い無いですか?」
「はい。」
「それではお会計失礼します…」

あっさりと手に入った…

   ***

『どうせ汗かくから。』
家につくなり、片付けもそこそこにswitchの用意を始める。
普段スマホゲームを少しだけやる私にとっては、初期設定からアドベンチャー。
はやる気持ちの勢いそのままに始めたかったが、コントローラーの充電が必要だったり、
なんだか本体のデータ更新で待つ必要があったりで、結局コートやかばんの中身を片付ける時間が作れていた。

不思議なもので、ちょっと待っただけで気持ちはだいぶ落ち着いてくる。
いつものようにインスタのストーリーを見ていたら、あっという間に時間は過ぎていく。

「今日やらないとやらなくなりそう…」
独り言をこぼしながら、太ももとリングコンにコントローラーをセッティングする。
操作方法を教えてくれるミブリさんに合わせて準備運動を開始。

私には私のペースがある。
私には私の舞台がある。
私には私の物語がある。


Ring Fit Adventure

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